幻想


なんにもないのに落ち込んでしまっているときに。

「あぁ、生きてる気がしない」って感じたことないですか? 私は時々あるんです。時々の頻度は1年で5回ぐらい。昨夜も眠る前に、そんなことを感じて、いつもより深く考えてみたのです。そもそも生きてる気がしないもなにも、息をしている以上、生きているのです。なのに生きてるって気持ちでいられないのは、どうしてかしら。



私は大抵のことに飽きっぽく長続きしません。たとえば掃除をするにしても、拭き掃除に飽きたら片付け、片付けに飽きたら別のこと。と、ローテーションをして、ひとつのことには飽きるけれども、動く流れとしては止めないようにしています。でも、ご飯を食べ終わったときとか、映画を観ているとき、眠る前の何もしていない状態のときに、ふと「生きてるって感覚がわからない」という思いが頭に浮かび、ぽかんとします。じっとしている時だけでなく、人と笑いあっている最中にも、そんなことを思うのです。

幼い頃に「自分の意思」があった憶えがない私は、十代の頃も同じく、二十代の過程で「これではいけない」と気付きました。人とうまくやれるよう、笑顔が素敵な人になれるよう、良い人になるように、少しずつだけれど努力をし続け、今に至ります。生きている気がしなく、胸の真ん中に何も無いようなときに思うことは、「十代の頃に理想としていた大人から、今の自分はかけ離れた場所にいる」ということ。「取り返しのつかないところまで来てしまった。どうしよう。どうしようもない。生きている意味が無い。」 過去の理想に執着して、こういう思考パターンになっています。同じ思考パターンを繰り返していると、それが当たり前となって、一連の思考の途中の流れが省略され、「理想と違う」と思った瞬間、「無」に辿り着く。「どうしよう」という段階が省略され、「なんとかしよう」と考える選択肢が無意識に排除されているのです。たとえ「なんとかしよう!」と考えてみたところで、そんな状態の時には何も浮かばないって言う人もいると思います。そのとおりです。気分が下がっているときに頑張ろうとすると、さらなるストレスを受けます。



じゃあ、どうすれば良いの?と考えて、私は答えに辿り着きました。その状態のときに頭の中がどう考えていようと、実際は単純に「身体が疲れている」だけなのです。身体が疲れているから、何か思いついても動けない。心が弱いのではなく、身体が弱っている状態。身体のSOS。身体能力というものは、誰もが知っているように人それぞれ違います。それなのに、平均値の枠に入れて、コレが出来ないのは普通じゃないとか、弱い人間だとか考えるのは、浅はかだと気付きます。

自分値を高めるためには何が必要? 仕事や家事育児が忙しすぎて疲れるのはもちろんですが、何もしない状態が毎日続くというのも、同じ姿勢を続けていると疲れるのと一緒で、疲れるものです。心に重点を置いて考えるのではなく、身体を中心に考える。そうすると、心がぽかんとしたとき、なんだかうつうつするとき、いま必要なのは眠ることだとか、ちょっと外に出たほうがいいとか、内側から感じてきます。



或いは健康な人が「生きている気がしない」と思うときもあります。しかしそれは、そう感じているのではなく、その言葉を使いたいだけのこと。過去に見聞きした誰かが作ったドラマに洗脳されている、ただの幻想です。映画や小説やアニメや歌の悪影響が人を介して連鎖している。これは私自身に、思い当たるフシがとてもあります。天才以外の人は、生まれてから今までに見たものを組み合わせて現在を見るのです。だから、「子どもにはよりよいものを見せるべきだ」という世間一般の常識は、真実だと私は思います。

また「つまらないことをぐじぐじ考えてしまう」という状態は、「部屋の中の散らかったゴミを、目の前に並べて何度も観察する」のと同じことで、ゴミを並べる労力と観察する視力を使ったぶん、また疲れるのです。だから、頭の中に散らかったゴミを捨てて、空いたスペースで大の字になって寝転がる!ことが理想です。それには先ず「そう願う」ことが必要です。



たとえば私の日常は、父に気遣い、母に気遣い、祖母に気遣い、夫に気遣い、それが当然で、それが良い娘であり孫であり嫁であり家族である。というふうに、おりこうさんに勤めることを日課としています。おりこうさんな家族でいる自分は、私の一部であることは確かだけれど、すべてではない。夫を恋人と想う自分。ひとりきりの、ただの自分。ある人の友としての自分。自分を生きるという中にさえも、気分転換が必要だから、なにかひとつ、いつもと違うことをしてみよう。

季節の変わり目は、身体も変化が起こります。私の主人は秋から冬が苦手で毎年苦悶するのですが、身体が冬支度をしているのだと知っていれば、もう少しラクに越せる。自分に目を向けるのではなく、外に目を向けてみれば、美しい季節。素敵なカケラを集めて、素晴らしい未来が降って来ますように。
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