レコード断捨離


生活のルーチンを打ち破った日に綴る言葉。



routineとは

お決まりの手順 判で押したように同じ順序

(goo辞書より)



最近、主人と私の二人ともが、朝起きた瞬間からどん底気分で、日中はもちろん、夜も疲れきった心持ちを抱きながら「ああ、やっと今週も水曜日が過ぎた」とか言って、日曜日の朝になれば「明日は月曜日かぁ」なんて溜め息ついちゃって、すごく悪循環。

それだから、20スヌーズでも起きられない始末。つまり、起きたくないのだ。
(スマホのことを「スマーとフォン」って間違って書いてると、主人から指摘あり)

昨年末までは二人とも、とってもしあわせで、眠る前なんかお布団にもぐると「はぁ~なんてしあわせなんだろう!」と毎日感謝しながら幸福な眠りについていた。

それが、事故に遭った一瞬から崩れ、少しずつ取り戻してきたところ、4月に姪の結婚式、5月に天草へ法事。と立て続きに出費が嵩み、ドット疲れて、その疲れが未だ続いているような、抜けきっていない感じ。

と、これを読んだ(綴った)だけでもうんざりするような感覚になりますが、今朝、そこから抜け出せた!と思ったので、ぜひここに書き残しておこう。



夜、主人は帰ってくるとすぐに私と一緒に御飯を食べて、そのあとはソファーに寝そべってパイプをふかしながらアイフォンを見ている。それはほぼ眠る前まで続く。

私は始め、そのことに対してブツクサをこぼしていたけれど、そうゆう自分に飽き飽きしちゃって、近ごろはなるべく気にしないように心がけ、本を読んでいる。

結婚の時に主人の願いでお金を掛けたオーディオやシンセも埃を被り、私がねだって買ってもらった携帯ラジオも、今はひっそりと隠れている。

今月に入って特に私たちの心をふわふわさせているのは、引越しの件である。

こちらは着々と断捨離や大掃除をすすめているのに、次に借りるお家の掃除が殆ど進んでいないし、それ以前に、まだ家主さんの物で溢れかえっている。

だから7月に越すことは決まっているけれど日程が曖昧で、中旬なのか、下旬なのか末なのか・・

それだけでもう寄る辺ない。大きな湖の真ん中で浮かぶ葉っぱの箱舟みたいに。

今住んでいる借家は敷金が無かったため、退去する時にいくらかの支払いがあるはず。夫婦二人して喫煙者なので、LDK(6畳二間分)の壁紙交換は必須であろう。

金銭的な不安も私たちの心をよどませる。



でもまー、とにかく今出来ることは、
持ち物を減らして引越しをラクにすることやんね♪



ということで昨夜は、いよいよレコードの断捨離を開始したのです。



手始めに、と始めたジャズのLP盤。

私が主人と初めて出会ったのは高校の軽音楽部。二十歳の頃に付き合い始めるきっかけとなったのは、佐藤伸治さん(FISHMANS)の訃報。そんなこんなで音楽は、特別を通り越して、普通に在るもの。なんて言うと、ちょっと気取ってますね。でも、そんな感じ。だから、音楽の趣味のツボはだいたい同じで、違っていても、その良さをお互いに理解しようと聴き込んでみたり。

それで、二人が一緒に暮らしているのに、どちらかが嫌々聞いているとか、どちらにとっても愉快じゃないものとか、そういうのを無くしてゆこうって基準で選別しました。

私が初めてカッコイーと思ったジャズは、小学校の頃に聴いたTake Five。その頃はジャズって何かわからなかったし、それきりジャズに触れてもいない。

十代も終わりの頃にブルーベックの Time OutのLPを買って、その後、Dave Digs Disney とかも好きになりました。

今、好きなジャズミュージシャンは?と問われると、真っ先に出てくるのが、サッチモとニーナシモンです。

サッチモことルイ・アームストロングは、誰でも知っている名曲 What a wonderful world を唄っているあの人です。

ニーナ・シモンは、10年ぐらい前に、エゴラッピンの中納さんが好きだということで
少し流行った時期がありましたね。私が知ったのもその頃です。ザ・マイスティースの次松君がコラムか何かで紹介していたのをきっかけに、図書館でニーナ・シモンの自伝を借りて読み、一気に惹かれました。

こういった、はじめっから好きとわかっているミュージシャンのレコードは、殿堂入りしているので手間がいりません。

問題は誰が買ったかも判らないもの」「ジャケ買いしただけで聴いていないもの」です。



名も知らぬようなレコードは、かけて聴いて「これ聴く?」「これ聴いててたのしくなる?」って、色々言い合いながら、処分盤と保存盤とを分けていきます。

処分盤は、ジャズの中でもナニジャズなのか、主人に訊ねます。スウィングジャズ モダーンジャズ フリージャズにビバップ!

4枚も持っていたチャーリーパーカーは全滅。

意外と良かったのが、カウントベイシー。

そしてそして、やっとここで登場!私の扉を開いたのは




私は正式なジャズ知識をまったく持ち合わせていないので、バースがどうのこうのとかってJAZZのこと、ホントわかんないんだけど、このアルバムを聴いていたら、ホーンの重なり具合が微妙に微妙なところで心地良く、くすぐられているのか撫でられているのか、ぎりぎりの可笑しさが込み上げてきて、愉快な気分になっちゃうのです。

この気分こそが音楽を聴く醍醐味ですよね!主人は2曲目のメロウなバラードナンバーを、ドリーミーに気に入っちゃって、私は3曲目のマンボのパーカッションを聴きながら大笑いしてテンション上がりましたです。



そう、それでね、音楽の話は実はどうでもいいんだけど、音楽聴いて愉快になった翌朝、つまり今朝のこと。

5時半から10分おきに4種類の携帯電話アラーム音が、ここ最近は、4種類目を止めても未だお布団の中って状態が続いていたのに、今朝は1度目のアラームでパッチリと目が覚めたのです。

「なんでやろ?」と思いつつも、朝のルーチンであるコーヒー淹れを始めると、
「あれれ?!」なんだか豆挽きが楽しい。ごーりごーりごーり。

そういえば、頭がシャンとしてる感じ。なになにどうして?!

そして、いつものように、出掛け10分前に起きて来た主人は、いつものように朝一番の「しんどーい」という呟きを吐く。

これを聞くたび、私はドヨーンとなってイライラしていたんだけど、今朝はそんな言霊を聞いても、ちゃらへっちゃら。



ちょうど昨日、夕食後に主人と
お金がないとか仕事がつらいとかもう生きているのがしんどいとか言うけれど
お金があれば良いのか?仕事が簡単だと良いのか?
ラクに生きられればそれでいいのか?
そうじゃなくて
元気さえあれば、お金がなくても仕事がきつくても生きるのにくじけそうになっても
元気さえあれば、なんとかなる
という話をしていました。

それで、わたし最近、元気がない気がするー。って言ってたトコなのよね。

その元気をくれたのは、小さなロジャースと彼の巨人たちでしたとさ。おしまい。






でもね、バイクでも車でも、一回ガソリン入れただけ、一回オイル交換しただけで、永久に走れるなんて、ない。

だから、こういうちっさな気の補給を繰り返し繰り返し、燃焼しては補給して、漏れてはメンテしてって、繰り返し、ときには時と金を費やしてオーバーホールをしてあげて、なんだかんだと人生は進んでゆく。

上を思った瞬間、下ができて、下だと思った瞬間、上ができる。

自分が決めた境界線。誰かが決めたルール。

そういうものから外れないように育てられてきたし、今もそう。

私は、もしも高い山に登り頂上に辿り着いた時、スマホで写真撮るより、ツイッターでつぶやくより、ラインで友人とお話しするより、大きな空と大きな緑に囲まれながら、一本の煙草を吸いたい。

こういう気持ちは、主人も一緒。こういうところが一緒なんだ。

私は、周囲の同年代の人たちが仕事や趣味やお洒落に遊びに夢中になっている時期、ずっとずっと人生のパートナーに対し真剣に、考え、想い、行動してきた。

この文章を読んで、「あなたは一人じゃないからそんなことを言えるのだわ」と、しあわせすぎる私たちを羨む婚活中の人もいるかもしれない。または、現在結婚していても、幸福でない人もいるかもしれない。

私の知る人で、結婚していて幸せそうにしている人たちは極僅かで、同年代の友人の半数は離婚している。そういう時代。でも時代のせいだけじゃない。

ここに来るまでに、比喩ではなく首を絞めあう程の憎しみを抱きあったり、傷を負ったり、心を傷つけたり、単純に苦しめ合ったり、そんなこと全部、乗り越えてきたもの。会社で成功した人がお金持ちになった背景には人並みならぬ努力があるって話と同じように。

それがね、ドラマや映画や小説やアニメや雑誌や新聞やバラエティや流行や他人の目の影響で、なんと言葉にしてよいか‥表面を見すぎてる。って云うのも少し違うような気がしてて、自分で人生を選べることを意識して生きられなくなってる。って感じかなぁ。



終わりのない話になってきたので別の話題

あの人は○○だからキライ
じゃなくて
あの人の○○なところがキライ
ってふうに考えていこうよ。

あ!

ひとをせめずことをせめよ って誰の言葉だったかしら。
この言葉の意味、よくわからなかったけれど、いつのまにか分かってたみたい。

と、話を逸らして、今日はこのあたりで。
だって、何時間もパソコンの前に座っていたら疲れちゃったんだもの。

それでは、ごきげんよう。
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