ごみの日に


ゴミ収集車の音を聞いて、思うことがあります。



私が今住んでいる羽曳野市では、隔月ごとに「もえないごみの日」と「もえる大きなごみの日」があり、いま時めずらしく、どちらも無料でごみ収集をしてもらえます。そして今日は、もえないごみの日。

前夜から、いくつものリサイクル業者のトラックが、先を競うように走り回っています。それを承知の上で、我が家も寝る前に、貰い物で長年使っていないスピーカーや、買い換えた古い方の音楽ミキサーやバイクパーツ等に「不用品」と書いた紙を貼って、表に出しておくのです。

そうすると、すぐにガタンゴトンと大きな音を立てて、業者さんが拾ってゆきます。その音を聞いて、少しこわい感じがするのですが、反面、ほっとするのです。その人たちの生活の糧の一部となって、どんなかたちであれ、なにかの役に立つのだから、ほっとする。勝手わがままな、でも本当の気持ち。

そうやって拾われてゆくものたちはよいのですが、問題は、拾われもしなかったものの、その行く末。



朝も9時を過ぎる頃、市の回収車がゴーゴーと音立てながら巡回してきます。そうして、本当に誰にも必要とされなくなったものを、バキバキバキ!!ガシャンガシャン!!と大きな音を立てて噛み砕き、家々の前を通り過ぎてゆきます。

その音を聞くと、胸が苦しくなって、涙が出てきます。だから目をぎゅっと瞑って、「ごめんなさい」と心の中で繰り返します。誰だって、こんな気持ちになるのはイヤだから、できるかぎりゴミにならぬよう、自分にとっていらなくなったものを、人にあげることで、少しほっとするのだと思います。



今朝、ごみ収集車が来る前、水を撒いている私を、近所のじいちゃんが手招きをして呼びました。「なになに?」と訊ねると、「今日はごみの日じゃろ」と言って、私に金色のイルカを手渡してくれたのです。

そのじいちゃんは、立派な家に一人暮らしの米寿さん。かつて六人で暮らしていた頃の、食器やら家具やらを少しずつ処分しています。それだから、時々、色々なものを私にくれるのですが、私は断れなくて、好きでないものも、ついつい受取ってしまいます。

でも今日の金色のイルカは、なんだかとっても愛らしくて、どう思い巡らしてもこれはゴミになることはない。そう思えたから、心から喜んで「ありがとう」と言って、受取ることができたのです。



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